植物を痛める酸性霧・オゾン

 最近、日光連山(日光白根山、念仏平、男体山)の標高2,000m前後の山岳地帯で、針葉樹のオオシラビソ、コメツガ、落葉広葉樹であるダケカンバが大量に枯れているのが見いだされている。森林の立ち枯れは南東面、あるいは南東からの気流の入り込むような場所に集中しており、被害面積は約2,200haに及んでいる。日光連山を南東に辿っていくと、東京首都圏地域の存在が浮かび上がってくる。夏季には相模湾海風、あるいは鹿島灘海風により、首都圏の大気汚染物質は光化学反応を受けて、より毒性の強いものに変質してから北関東の山に達することが、風の場のシミュレーションにより明らかになっている。
 森林樹木の枯損に酸性霧や光化学オゾンが重要な役割を果たしているのではないかと考えられるが、日光連山やそれと同様な風系である赤城山で高濃度のオゾンや酸性度の高い霧が観測されていること、実験室チャンバー内のオゾンや酸性霧の暴露でモミの木等の枯れが観測されていることが、これを示唆する状況証拠としてあげられている。森林枯損の生じている方向性を考えると、空気に乗ってくるものの影響が示唆される。すなわち、ガスであれば酸化性の強いオゾンであり、粒子状物質であれば硫酸ミストなどである。これらの他に酸性霧の影響も可能性がある。これらの大気汚染物質が、とくに夏季の晴天が続くときには関東平野内で非常に高濃度となり、首都圏から飛来してストレスを森林に与え続けてきた可能性がある。日光連山の森林被害説には凍害説やナラタケ菌説などもあるが、これらの自然現象であれば、100年に1回程度は起こってもおかしくないと思われるのに樹齢150年の木が枯れている。さらに、自然現象であれば国内の種々の地点で見られるはずであるのに、このような森林被害が関東平野周辺にかぎって見られることも自然現象説を弱くしている。酸性霧やオゾンが慢性的なストレスとなり森林を衰弱させ、そこに自然現象が起こり森林被害を生じさせたと考えられる。しかしながら、日光周辺では鹿による食害の影響もあって、森林衰退の原因をわかりにくくしている面もある。現在のところ、状況証拠ばかりで、はっきりこれが原因だと断定できる証拠はないが、オゾンや酸性霧が一つの重要な因子であろうことは疑いがない。今後、森林枯損の因果関係解明が待たれるところである。
 酸性霧の生成メカニズムは酸性雨の生成メカニズムと同様である。光化学反応により生成し、大気中に存在している酸性物質(例えば、硝酸、硫酸)を取り込むことにより霧は酸性化する。また水分量が同じ場合には、霧は雨と比較すると表面積が大きく、大気汚染物質を取り込みやすいので、水滴中が反応場となり、霧の中で酸性物質が生成して酸性霧となる場合がある。
 霧は大気汚染物質濃度が高い地表面付近で発生し、微小滴であるため滞留時間が長く、汚染物質を多量に取り込む。酸性雨の場合には、汚染された初期降雨が多量の清浄な後続雨水により洗い流されるが、霧の場合には水分量が少ないため、葉などへ付着した場合、作用時間が長い。酸性度の高い霧水は木の葉の表面にあるクチクラワックスを分解することが明らかになっている。さらに、この分解により葉の表面からの昆虫や病原菌の侵入が容易になり、成長低下を生じる可能性がある。一個の粒子が小さく、酸性雨に比べてpHが低いために植物の葉などへの影響のしきい値があるとすれば、酸性霧の方が酸性雨より影響は大きいと考えられる。また、北米における植物被害が、山岳地帯のある一定高度以上に広く出現しているのも霧の影響を示唆している。
 捕集方法は、原理的には霧粒と気体分子の慣性の差を利用する慣性衝突法採用されている。多数の細線を縦に張り、霧粒が衝突して重力で落下するのを集める方法は簡便であるため最もよく用いられているが、その中には、自然の風を利用するパッシブな型とファンを使って強制的に空気を吸引するアクティブな型がある。パッシブな型は山岳等の電源のない場所で使用するのに適している。霧が濃く、風が少し吹いている場合には、清浄なシートを風向に垂直に向ければ簡便に捕集できる。
 一方、オゾンは、最近あまり聞かれなくなった光化学スモッグの主成分である。排気ガス対策等により、光化学スモッグは減少したかに見えるが、その影響を受ける地域は広がっている。東京周辺で放出された大量の窒素酸化物や炭化水素が海風に乗って関東平野内を内陸に送られていく過程で、太陽光のエネルギーを受け、光化学反応が進行して、オゾンが生成する。大発生源の東京よりも、内陸の埼玉県、群馬県で濃度が上がることが多く、山岳地帯の森林に影響を及ぼしているのではないかと考えられる。
 オゾンの連続的な観測には通常100Vの電源で駆動するオゾン分析計が用いられるが、日光白根山の山頂付近のような山奥では使うことができない。我々は、カーバッテリーを電源とする小型のオゾンセンサーを用いてオゾン濃度を山の上で測定している。重いバッテリーを山に上げるため、「死滅する森林を救うグループ」の山男、山女(?失礼)の方々に多大のご協力をいただいている。このように、一般の方々が身近な環境について関心を持って下さり、自分の問題として取り組んで下さることが、環境問題解決へ向けて最も重要なことである。
  国立環境研究所  村野健太郎 
                                                             畠 山 史 朗

永島盛次写真集「森とローカル線が消える国」から転載